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D-project アーカイブス Dの現場から
Vol.1 アーティストから見た日本の情報教育  1 2 3
 
今、日本の教育現場では、新しいコミュニケーション文化に根差した、情報教育という分野が始まろうとしています。連画という画期的なコミュニケーション・アートが、何かヒントになることはないでしょうか?
 
  安斎利洋氏
  安斎利洋氏
安斎:僕らが願っているのは、もっとオープンなシステムの中で、たとえばあるものを見たときに、いろんな見え方が可能なんだよとか。自分が描いた絵でも他の人から見ればまったく違うものに見えることもあるんだよ、といったようなネットワーク社会の中の実像に対する感覚を開くこと。そして人の絵を触るのと同時に、逆に人に自分の絵を触られるという感覚を学ぶこと。
 実際に連画をやってみると、他の人の絵を触っている快感よりも、むしろ自分の絵がどう変わっていくのかということに、ものすごく興味が湧きます。そういったことを学びとるには、連画以上に良いものはないと思う。

中村:それはやっぱり裏付けとして、デジタルの特性であるオリジナルとかコピーとかない、まったく同じものを他人に提供できるという、最高の利点によるものよね。自分のオリジナルは傷つけられてないというか…。これは、デジタルをおおいに遊べそうだと直感的したので、私もあの安斎さんのメールによる提案を受けたんだと思う。

安斎:つまり誰かに盗られるんじゃなくて、自分の言ったことが木霊のように広がっていく。連画はそのように増幅されるシステムだからこそ、その中で表現し合うことができるんです。
 BBSでも、自分のメッセージがだんだんパブリックなものになって、いろんな文脈の中に入っていくことを知らされる機会がありますよね。そんな時、自分というのは有限なもので、人というのは無限の可能性がある。で、そういった関係の中で喋るということは、実はものすごく重いことなんだということがわかる。連画もそれと同じことがいえると思います。

中村:1996年以降、何回か小学校の現場に呼ばれることがあって、私たちが作った「連画支援環境」とでも言うべきソフトウェアで実験する機会があったんですが、我々が10年かけて積み重ねて体感してきた経験が、一瞬にして彼らの中に起こる。彼らは、自分の絵が触られること、さらに自分も他人の絵の上に描くことといった基本的な連画の経験を通った上で、さらに新しいルールを作ってどんどん遊んじゃう。子どもたちは、機材への適応も、新しい考え方に慣れるのも早い!
 
その場合、表現におけるネチケットというか、ある種のいじめのような現象は起きないものですか?
 
安斎:あらかじめコンダクターやコントローラーがいてから始めると、必ず調和のある世界になりますよね。教育の現場でも成果を上げようとしたら、まずみんなで山を描きましょうとか、何かメソッドを与えると必ず上手なものはできてくる。でもそれは全然面白くないんです。僕らがやった実験においても、子どもたちの表現のケンカはけっこう起きました。でもそういったもののほうが、実はかなり面白いと僕は思う。

中村理恵子氏
中村理恵子氏
中村:ケンカというけど、やはりぎりぎりそれは、コミュニケーションだよね。

安斎:それってゲームなんだね。だから最近ではネチケットとかあらかじめ決めておいても、全部無効になってしまうことがよくある。メディアリテラシーだって、一週間後には通用しないリテラシーになっているとか。
 だから連画などのシステムの中で、子どもたちが覚えなければいけないのは、何が正しいものなのかを見分けたり、自分の意見が正しく伝わるように仕組んだりできる能力。リテラシーではなく、むしろリテラシーを作る能力のほうが重要なんだと思う。そういったものがないと、世界からどんどん除外されていってしまう。

中村:誰か一人がズルをやって終わっちゃったり、退屈しちゃうことのほうが、子どもたちにとっては一番辛いこと。常になんらかの関係性が動き続けることが、大事だと思う。
 大人の世界や、たとえ学校の中だって、決して平等な空間じゃない。平等を装いながら、しかしそこには競争原理があってノルマをこなさにゃならない。しかし、“遊び”の現場には、そんなややこしいことはない。“遊び”は、対等な人間関係があってはじめて成立するものに思える。
 だから我々も、こういったアートとかプロジェクトを作るときは、精一杯真剣に“遊ぶ”ことが重要。対等じゃないと遊びは楽しくない。大切なのはメディアリテラシーというより、メディア遊びかもしれない。
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