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2006年09月03日

大阪 羽衣学園高校 英国研修 報告

2006年7月29日(土) 曇りのち快晴のち曇り時々雨のち晴れ

本日は ストラットフォード・アポン・エイボンです。
ストラットフォード・アポン・エイボンは、エイボン川のほとりに位置する町です。中世の風景を今にも残す場所です。どうしてこんなに名前が長いのか?それは、他のストラトフォードという町がいくつかあるのでそれと区別するためだとか。そんなに大きな町ではないですが、みどころ いっぱいの町です。 

9時 オックスフォード 専用貸切バスで出発
 高速道路のM40を走りこの町のあたりに近づくと、「ようこそシェークスピア・カントリーへ」と書かれた看板が目につきます。M40の15番出口を出て南西方向にA46、A439を走りました。

10時20分 ストラットフォード 到着
 シェイクスピアの生家と博物館見学
生家は、ヘンリー・ストリートにあります。エリザベス1世時代のハーフ・ティンバー(木骨造り)の家で、16世紀当時の中産階級の家です。1847年に国が買い取りました。隣にシェークスピア・センターがあり、生家にはここから入ります。家の中は、当時のままに残されている部分とシェークスピアに関するさまざまな展示が行われている部分があります。世界各国で翻訳されたシェークスピアの本のなかには日本で出版されたものもありました。修復してあるとはいえ 400年以上昔に建てられた家です。木骨造りで、居間・台所・寝室などを見学しました。あとは、彼の生涯と作品に関した展示をじっくり見学しました。また中庭の花や芝生が今年は特にきれいで 本当に庭だけでも十分見る価値があると思いました。

少し学習したこと:シェークスピアは、農業・ウール商店を営むジョン・シェークスピアとメリー・アーデンの長男として1564年に誕生しました。18歳でアン・ハサウェィと結婚し3人の子をもうけました。シェークスピアは、1584年頃単身でロンドンに進出し、脚本家・俳優として成功しました。1610年頃この地に戻り、1616年に亡くなるまでニュー・プレイス(New Place)の家に住みました。
(ちなみに誕生日となくなった日が同じ日だとか・・・・・・)

11時30分
きれいな町並み(花がいっぱい)を歩いて ハーバードハウス(アメリカのハーバード大学創設者 ハーバードの母が住んでいた家)やNew Placeの庭(シェースピアが晩年をすごした家の庭)、
ナッシュの家(孫娘の家)やシェークスピアの学校を見ながら教会へ向かいました。

12時 ホーリー・トリニティ教会見学
  シェイクスピアは この教会で洗礼を受け、死後もこの教会に埋葬されました。
 教会内部の壁には、彼の胸像も見ることができました。墓も見ることができました。

13時  教会のすぐ横の 芝生広場で 昼食 
オープンシアターといって無料で劇を芝生の上で実施していて 熱心に見ている人もいました。
またすぐ横が エイボン川で 白鳥やあひるがたくさんいて、またボートの数も多くありました。
天気もよく 最高の環境での昼食でした。

昼食後、ロイヤルシェイクスピアシアターなどのシアターの横をとおり 駐車場へ

14時00分 ウォーリック城見学
14世紀に建てられた イングランドの中でも もっとも気品高い中世の城とされています。
ルーヴェンスやヴァンダイクらの名画のある豪華な広間、実際戦争で使われた道具(市民革命の展示の横に刀やよろいなどの展示)、拷問の道具のある牢獄(みんなこの時代に生まれなくて良かったの声)、19世紀のパーティーの様子(豪華絢爛)を表した マダムタッソーのろう人形(ロンドンにも博物館があります)の再現などいろいろと見学しました。また石のらせん階段を上がり、カイズタワーの頂上からの美しいまたのどかな田園風景に感動しました。(なんと階段が 500段もありました)。実は この城の中にお化け屋敷がありました。何人かに連れられて入ったのですが、これが 英語版では珍しくなかなかよくできていまして。。。(とにかく悲鳴が響き渡っていました)

16時30分 出発

17時25分 オックスフォード 解散
ストラトフォード・アポン・エイボン 素晴らしい研修でした。

投稿者 teacher01 : 2006年09月03日 22:58

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